ボーイスカウト亀1案内

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展示詳細「ボーイスカウト運動のはじまり」

更新履歴
<2024年03月20日>
展示開始
<2024年03月09日>
資料調査・ページ作成開始
ボーイスカウトは子どもたちによって広まった!?
~ ボーイスカウト運動の始まり ~
概要
  • 英国のベーデン-パウエルは、1907年の夏、英国の青少年が立派な国民、社会人となることを願って20人の少年たちとともに2週間の実験キャンプを実施し、 「スカウティング・フォア・ボーイズ」という本を出しました。
  • 少年たちは、この本を夢中になって読み、自分たちで自主的に班を作って活動をおこない、おとなたちに協力をお願いするようになりました。
  • やがて、スカウトの班や隊が、他の国にも続々とできていき、1922年には全世界のスカウト人口が100万人を越えるまでに広がりました。
  • 日本では、1908年にこの運動が伝わり、全国各地で少年団が作られていきましたが、1922年4月13日にこれらを統一し、世界のボーイスカウトへ正式に仲間入りしました。
(1)1907年夏のキャンプ
  • 英国のロバート・ベーデン-パウエル卿は、1907年の夏、2週間の実験キャンプを実施しました。
  • このキャンプは、自身がインドやアフリカで経験したきびしい自然環境での生活体験をもとに、平和のために英国の青少年が立派な国民、社会人となることを願って立案されたものです。
  • ベーデン-パウエルは、20人の少年たちとともに、イギリス海峡にあるブラウンシー島で、この計画を行いました。
  • そして、この実験キャンプの成果にもとづいて、ベーデン-パウエルは1908年に「スカウティング・フォア・ボーイズ」を著しました。
(2)スカウティング・フォア・ボーイズ
  • この「スカウティング・フォア・ボーイズ」は、1908年1月15日に分冊第1冊が出版され、以後2週間ごとに6冊まで出版されました。
  • 5月には、「スカウティング・フォア・ボーイズ」が単行本となって世に出されたところ、これがベストセラーになったようです。
  • なぜ、この本が世界中にボーイスカウトが広がるきっかけとなったのか、それは、「少年たちのためのスカウティング」というタイトルの通り、 スカウティングが少年たちの夢をかなえる、野外・大自然を活動の場とした魅力あふれる楽しいことだったからだといわれています。
  • この本には、スカウト技能や旅、キャンプ生活、追跡法などの具体的な技術だけでなくさまざまな心構えについても書かれており、今でも日本語翻訳版を見ることができます。
(3)子どもたちの冒険心や好奇心
  • 「スカウティング・フォア・ボーイズ」は英国の少年たちの間に爆発的に広がりました。
  • そして、少年たちはこの本を夢中になって読みました。
  • さらに、読むだけではおさまることなく、実際にこの活動を実践する班が自発的にできていき、近所のおとなたちに協力をお願いするようになったようです。
  • そのような少年たちの自発的な動きに、近所のおとなたちも協力するようになり、隊や隊長ができ、スカウトの組織が整っていきました。
  • スカウティングが行われるところには、愉快な笑い声があり、スカウトたちは快活に活動し、胸を躍らせ、緊張し、五体五感をフルに使うといった体験をとおして、自立に向かっての大切な多くのことをいつの間にか学んでいきます。
  • スカウティングは少年にとっては楽しいゲームですが、おとなからみれば、ゲームを通しての人間教育といえ、まさにベーデン-パウエルが願ったことにつながったといえるでしょう。
  • ベーデン-パウエルは、スカウト運動は少年たちが盛んにし、国際的にしたのであって、自分は一冊の本を書いただけであるといっており、この謙虚な言葉にこそ、彼の偉大さとこの運動の成功の秘密があるといわれています。
(4)世界に広がるスカウト運動
  • 「スカウティング・フォア・ボーイズ」が書店に並んでから、スカウトの班や隊が、英国のみならず他の国にも続々とできていきました。
  • 1912年、ベーデン-パウエルは多くの国のスカウトに会うため、世界旅行に出かけました。これが、世界的な兄弟愛運動としてのスカウティングのはじまりといわれています。 第1次世界大戦中は中断されましたが、戦争が終わるとともに再開されました。
  • 1920年、最初のスカウト国際集会がロンドンで開かれ、世界の多くの地域から3万余りのスカウトが集まりました。 これが、第1回世界ジャンボリーで、最終日の8月7日の夜、ベーデン-パウエルは歓呼する少年たちによって、「世界の総長」に推されました。
  • そして、1922年の時点で、全世界のスカウト人口は100万人を越えました。
  • 世界ジャンボリーは、1924年デンマーク、1929年イギリス、1933年ハンガリー、1937年オランダで開かれました。 これらのジャンボリーでもベーデン-パウエルは少年たちから熱狂的な歓迎を受けた一方で、彼にとってジャンボリーはスカウティングの世界兄弟愛運動の一部に過ぎず、 広く旅行しながら多くの国のスカウト指導者と文通を続け、スカウティングについて書き続けたそうです。
(5)日本のスカウト運動
  • 日本では、1908年にボーイスカウト運動が伝わり、全国各地で少年団が作られ活動されるようになっていきました。
  • 1921年、当時の皇太子裕仁親王殿下(のちの昭和天皇)がエジンバラでベーデン-パウエルと面会されました。
  • 1922年4月13日、全国各地の少年団を統一する動きを受けて「少年団日本連盟」が創立されました。 このとき、ボーイスカウト国際事務局に正式加盟することで、世界のボーイスカウトに仲間入りしました。
  • 2022年、創立100周年を迎え、大切な考え方をまもりつつ時代に合わせて形を変えながら、「より良き社会人の育成」を目的として活動しています。
参考資料
  • ロード・ベーデン-パウエル・オブ・ギルウェル著,(公財)ボーイスカウト日本連盟翻訳,「SCOUTING FOR BOYS」,SCOUTING FOR BOYS,1-408.
  • (公財)ボーイスカウト日本連盟,「B-P物語」,SCOUTING FOR BOYS,409-422.
  • (公財)ボーイスカウト日本連盟,「成立の背景」,SCOUTING FOR BOYS,429-514.
  • (公財)ボーイスカウト日本連盟,「ボーイスカウトの歴史」,https://www.scout.or.jp/history
  • (公財)ボーイスカウト日本連盟,「団の運営と団委員会」,東京,2003,5-6.
  • (公財)ボーイスカウト日本連盟,「カブスカウト隊長ハンドブック」,東京,2015,24-25.
  • (公財)ボーイスカウト日本連盟,「明日を築く少年たち」,東京,2015,4-6.
  • (公財)ボーイスカウト日本連盟,「100年の歩み」,https://100th.scout.or.jp/history/

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